田口海という男がいる。
彼は青春をサッカーと共に生きてきた男である。
ここ日本では22歳にしていきなり金を稼がなければ生きていけないという人生の分岐点がある
わけだが、彼は就職という道を選んだ。
彼の父親は、その昔海外青年協力隊員(JICA)として、フイリピン、バングラデシュで現地生活、
子供たちに水泳を教え、スモーキーマウンテンから煙が上がる帰り道、、そんな現地の環境の中
で生まれ幼少時まで育ったのが田口海である。一家はほどなくして日本帰還、父親は日本での生
活の隙を見てはバングラデシュに渡り現地の援助や通訳をしていた、いや、今もし続けているのだ。
で、田口海。就職も落ち着き、会社内のとあるチーフという地位についた彼は、ある日会社の同じ
チーム員を呼び寄せ、話をした。
・・僕はバングラデシュにいって子供たちのサッカー指導をします。
僕は会社を辞めます。
彼が隙を見ては度々バングラデシュに渡っていたのを皆知っている。彼は現地で裸足でサッカー、
もしくは片足だけのスニーカーでボールを追いかけている光景を見て日本で片足だけのスニーカー
を集めて届けたりしていたのだ。皆拍手で田口海を会社から送り出した。
彼は晴れて海外青年協力隊員となった。セネガルとバングラデシュ、どちらに赴任したいか、と問
われ、迷いなくバングラデシュと答えた。世界でいちばん貧乏な国、バングラデシュ。7年前テロ
があり、日本人も犠牲になった、それ以来日本人隊員は誰も選択しないバングラデシュ。
先日クーデターが起こったことも記憶に新しい。
・・・いってらっしゃい、頑張ってね、海くん、身体に気をつけて。
・・とにかく蚊がたくさん、痒いのは勘弁だな。こないだ赤痢デビューしてさ、子供たちにコン
グラチュエイションって笑われたよ。毎日カレーでさあ、野菜食べれないさ、すいかなんかきゅう
りみたいな味だよw、こないだ検査で引っかかっちゃったよ。謎の熱出て入院した。でも元気だよ、
おばあちゃん。また会いに行くからね。
2025年8月、田口海はバングラデシュ国内で初めて、子供たちを九州のサッカーチームと対戦、交
流試合をするという段取りを全てひとりで行動し、大分県長崎県へと引率、遠征した。もちろん九
州の友人たちの協力もあってのことだろう。バングラデシュにとっては奇跡の海外遠征だ。
KTNテレビ長崎
福岡でのサッカー交流試合で来日 バングラデシュの高校生が長崎原爆資料館で原爆について学ぶ
8月19日。真夏日。
・・・・プロサッカー選手を目指すバングラデシュの高校生たちが17日長崎を訪れ、長崎県原爆資
料館で原爆について学びました。訪れたのは、、、
昼寝から目覚めたおばあちゃん、ベットで音がする。大音量だ。
・・・またあのニュースだ、スマホ片手に何度も繰り返し眺めてる。
蝉が鳴かない残暑。
鳴り響くおばあちゃんの、おばあちゃんの夏。
・・おかえり、海。ほら、すいか食べ。ニホンのすいかは甘いよお。
(2025.8.19)
*POPEYE web 1ヶ月限定の週1ミニコラムをマダムが担当。
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