センチメンタル「アパート」



まぶしい…。なんてまぶしいんだろう。目の前にも、下にも、空がある…。

…・・



鉄筋コンクリートの四階建てアパート。平屋と田んばばかりのこの村に、ピッカピカの新築アパートが建てられた。僕は、小学校2年のとき、両親と2つ違いの妹と共に、東京からこの村へやってきた。まだ、誰も住んだことのないこのアパートの二階に、僕らは、引越してきたのだ。ほかにも、名古屋や大阪から、たくさんの家族が引っ越してきた。半年もすると、アパートは、満室になった。

このアパートには、A棟とB棟がある。

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小学校までいくのに、歩いて45分かかる。田んぼのあぜ道を通ったり、いまにもくずれそうな、板っぺりの橋を渡ったり、毎日が冒険だった。転校生だった僕は、なかなかみんなと友達になれず、学校からの帰り道、牛ガエルをつかまえたり、スイカの味がする草を吸ったり、途中、ガマンできずに、オシッコをもらしたりした。大雨の日だったので、おかあさんにバレなかった。

走るのが早かった僕は、しばらくすると、クラスの人気者になった。転校したての頃は、村のこどもたちのような口調で、しゃべることができなかったので、そうじのとき、箒でたたかれたり、ズボンを脱がされたりした。僕は、体育の時間、50メートルをいちばんで走った。その日から、僕はみんなの英雄になった。

クラスに、今井というオンナノコがいる。「今井、手と手をあわせてこうやってこすってみろよ。」いじめっこが言う。少し、アタマの弱い今井は、いつもちょっと、舌を出してエヘッと笑い、手と手をいっしょうけんめいこすりあわせる。「手、みせろよ。」「わー、アカだらけだ。おまえ、いつから風呂はいってねえんだ!」これが、毎日だ。毎日の「イジメ」だ。

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僕の住んでいるアパートに、クラスのみんなが、あそびにくるようになる。みんな、鉄筋コンクリートが珍しいのだ。アパートのA棟とB棟は隣どうしだ。僕らは、遊んだ。アパートの屋上へいって A棟からB棟へ、B棟からA棟へ、「飛ぶ」のだ。

僕らは、空を「飛んで」、「またいだ。」

「遊び」だ。

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この村でのはじめての夏休み。僕は、おかあさんにないしょで、アパートの奥にある山をひとりで「探検」しにいった。すぐ近くにあると思っていた山は、思ったより遠かった。僕は、舗装された道から、だんだん険しくなっていく道を、汗をかきかき、どんどん歩いていった。

…オンガクが聞こえてくる。
…オルゴールのように輝かしい。
…赤ちゃんが泣いている。

僕は、それにつられて、背の高くなった雑草を掻き分け掻き分け、道をつくっていった。

長屋だ。みんなで、楽しそうに洗濯物を干している。ラジオから流れるオンガク。アグネスチャンだ。ヒットチャート一位だ。ラジオの中で、歓びを押さえ切れずに歌っている。おしゃべりしながら、5にんのおかあさんは、洗い立てのオシメをパンパンたたいたり、縁側でタバコをふかしたり、ツバをはいたりしていた。…今井だ。今井がいる!赤ちゃんを背負って、背中でユラユラゆらしている。楽しそうに笑ってる。たのしそうだ。

…あのコは、きたなくなんかない。

…オンナノコって、かわいいな。

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B棟の一階に住んでいる、僕より4つ年上のオトコノコは、なんだか不思議だ。学校では、めったに顔をみないし、数回、アパートの下で、すれちがったくらいだ。会うたびに、そのコは、顔が脹らんでいった。そして、とうとう風船玉になって、空へ飛んでいった。
白血病だった。

どうして、みんな、隠していたのだろう。

…・・



僕は、「買い食い」を覚えた。おかあさんのサイフから、毎日、5円盗み、学校からの帰り道の途中にある駄菓子やで、はやりのチョコレート菓子「バット」を買った。野球のバットのように細長いビスケットにチョコレートが塗ってあるお菓子だ。その袋には、「あたりはずれ」があって、「ホームラン」が出ると、もう一本、「ヒット」が出ると、3つで一本、「バット」がもらえるのだ。ある日、僕は、その「バット」を噛りながら、帰り道を歩いていた。ふりむくと、父母会帰りのおかあさんがいた。毎日、「おやつ」を作って僕の帰りを待っていてくれるおかあさんは、「買い食い」を許しはしない。僕は、走った。おかあさんは、どこまでもどこまでも追いかけてきた。

どこまでもどこまでも…。

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A棟の三階に住んでいる僕と同い年の修作くんの家族が、東京へ転勤することになった。もともと、東京からやってきたのだが、修作くんのおにいさんの中学受験のため、また東京へ戻るのだという。修作くんのおにいさんは、ものすごくアタマがいい。僕は、修作くんもアタマがいいと思うのだが、なにしろ、おにいさんが、アタマが「よすぎる」のだ。修作くんは、いつも僕にいっていた。

「おとうさんとおかあさんは、おにいさんのことの方がダイジなんだ…。」


…・・



あれから、12年たった。僕もいま、東京にいる。大学受験だ。一浪して、もういちど受験。

ただいま勉強中。
ラジオから流れるニュース。
僕は、いそいで、台所にいる母のところへいった。

「修作くん、殺しちゃったんだ…おとうさんとおかあさん、…・バットで、殴っちゃったんだ…。」

…・・



アパートのA棟とB棟は隣どうしだ。僕らは、遊んだ。アパートの屋上へいって A棟からB棟へ、B棟からA棟へ、「飛ぶ」のだ。

僕らは、空を「飛んで」、「またいだ。」

「遊び」だ。


…・・

…・あのとき、確かに、 飛んだんだ。




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00.3.21